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『これはペンです』円城塔/小説の可能性を掘り起こす小説

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円城塔というと私の大好きな作家の一人、伊藤計劃の盟友として有名で、『屍者の帝国』で30ページの序文を残してこの世を去った伊藤計劃の意思を継ぎ、作品を完成させた人物という印象です。

屍者の帝国』に寄せられた円城塔による”あとがき”からも読み取れるのですが、伊藤計劃に並々ならぬライバル心を持っていた様で、では彼自身の作品はどうなのだろうと思い、手に取ったのが本作品『これはペンです』です。

叔父は文字だ。文字通り。文章自動生成プログラムの開発で莫大な富を得たらしい叔父から、大学生の姪に次々届く不思議な手紙。それは肉筆だけでなく、文字を刻んだ磁石やタイプボール、DNA配列として現れた――。言葉とメッセージの根源に迫る表題作と、脳内の巨大仮想都市に人生を封じこめた父の肖像「良い夜を持っている」。科学と奇想、思想と情感が織りなす魅惑の物語。

『これはペンです』

2編の収録された本書の表題作です。

まず本作品については、いつもの読書感想文のように概要を私なりに書くことが大変難しい作品となっています。

ざっくり言うと、「自動文書作成機」を発明し、一躍時の人となったが、誰もその存在を知らない叔父と、その姪の奇妙な手紙のやり取りが続く物語となっています。

本作品の主軸となっている、この手紙のやり取りの中で、物語が何処かに行き着くのかというと、そういう訳でも有りません。なぜなら、本作品にはおおよそ起承転結と言える物が見当たらないからです。

はっきりとした起承転結の無い小説と言うと、村上春樹を思い起こすのですが、円城塔のそれは村上春樹の作品のように、物語が流れるにつれて、いつの間にか不思議な世界に引き込まれているような感覚とは全くの別物のようです。

この違和感は、本作品に物語の流れというものが無いからだと考えています。

姪目線で書かれる叔父との手紙のやりとりの中で展開される、思考の展開。まるで、誰かの脳を己にローディングしているような感覚です。注意すべき点は、これがインストールではなくローディングという点です。

そしてテーマは、文字の可能性を追求したものとなっており、『これは文字です』にせず、『これはペンです』と名付けられたタイトルからは、情報社会となった世の中で、ペンを握る事を忘れた我々に向けた皮肉のようにも感じます。

純粋な大衆小説を求めて読むと、必ず裏切られる事になりますが、だからといって小説としての本書を否定する事にはならない、そんな発見があるかもしれません。

『良い夜を待っている』

2編の収録された本書のもう1つの作品です。

本作品は表題作よりは、読みやすい作品となっています。ただし、大衆小説に慣れていると出鼻を挫かれる点では、両者に相違ありません。

『これはペンです』に引き続き、起承転結不在の作品です。

作品の概要は、一度見聞きしたものは決して忘れる事のない、超記憶力を持った父が亡くなり、父を研究していた教授から父の話しを聞き、研究する娘の話しです。

それなりに歳を重ねると、世の中には一般的な言葉で言う天才がごまんと居ることを認識する事ができます。それは、努力の賜物なのか、先天性のものなのか、十人十色です。身近な例で言うと絶対音感、これはどちらかと言うと幼い環境に恵まれた人間の努力の賜物と認識していますが、残念ながら先天性の天才には、齢28ではまだ出会ったことがありません。

何者にもなれなかった我々は、彼ら(或いは彼女ら)に羨望の眼差しを向けることが、多かれ少なかれ有ると疑って止みませんが、本作品から読み取れるのは、彼らが決して幸運であるとは限らない、という事です。

何かに秀でた人間は何かが欠落している。結局、仮に10という器があったとすると、8が表面的な部分であれば、2を補うのにそれなりの苦労をしているという事です。

話しを戻しますと、本作品の主軸となっているのは、一度見聞き(インプット)した物は、いつでもどこでもアウトプットする事ができる父の存在です。その記憶という媒体を、大規模な脳内に存在する都市、というモデルに置き換えたインプットとアウトプットの苦悩は、おおよそマジョリティである人々の常軌を逸したものである事が読み取れます。

とは言いつつ、著者の円城塔がマイノリティであるかどうかは分かりません。それは、円城塔のみぞ知る悩みなのかもしれません。

【総合的な感想】これまでに読んだことの無い、学会論文のような小説。

あとがきで初めて知ったのですが、本作品は芥川賞の候補作にノミネートされながらも、複数の審査員から積極的な反対票が投じられ、落選となった作品だそうです。

鶴の一声となったのが、村上龍による本作品の(奥泉光による本書の解説によれば)タイプライターに関する言及誤りだったらしいのですが、何が現実で何が誤りなのかが曖昧な小説に於いては、そこまで重箱の隅をつつく必要は無いのでは、とも思います。(受賞云々ではなく、そこに重点を置く必要があるのかという意味で、です。)

著者の円城塔ですが、稀代の小説家として円城塔の何歩も先を、ごく短期間でSF小説界を巡りながら駆け抜けて、あっという間にこの世を去ってしまった伊藤計劃に、嫉妬の炎を燃やす様は、さながら芥川龍之介と太宰治の関係のようにも感じます。

東京大学出身の円城塔と、武蔵野美術大学出身の伊藤計劃では、そもそも多感な青春の形成体である大学という教育機関から単純比較は困難です。

盟友と謳いつつも、物理や科学の知識から論文に出来なかったテーマを小説にした円城塔と、メタルギアソリッドというゲームや映画というメディアから思考を形成した伊藤計劃とでは、小説家という職業の中でも、銀行員とホストくらいの違いを感じます。

音楽であれば、好きなバンドが影響を受けたアーティストを掘り起こしていく事に、何処かに関連性(例えば、ギターリフ等)を見出すことができるのですが、こと小説家となると、音楽と同じような発見は中々難しいようです。

とは言いつつも、新しい発見という意味合いに於いては、小説家同士の関連から作品を探す事も実に愉しいものです。

小説の可能性を掘り起こす小説、見事でした。

言及したこれまで読んだ小説

屍者の帝国』(伊藤計劃・円城塔)

伊藤計劃を知り、円城塔を知った作品です。

もしも伊藤計劃自身の手で書き上げられたのなら・・・という想いもありますが、円城塔が引き継がなければ決して完結しなかった作品です。

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