アイスハート

一片氷心で四季を巡る書斎ブログ

『東京奇譚集』村上春樹/都会を舞台とする不思議な短編集

f:id:maegamix:20150224105917j:plain

村上春樹の短編小説は、現在他にも読みかけのものがあるのですが、後から手に入れた本書、『東京奇譚集』を先に読み終えました。

現在、所用で実家に帰省中なのですが、多くの本を読んだ実家という環境が、読書に最適な場所らしく、ここ1週間程度で狂ったように読みふけっています。(もう片方がおざなりなのは、一人暮らしの部屋に本自体を忘れてきてしまったからです。)

私が大学生だった頃くらいまでの、村上春樹の主要な長編小説はあらかた読んでおり、現在は追いつきをかけているところです。(ただし、他の作家へ寄り道することの多い追いつきですが。)

肉親の失踪、理不尽な死別、名前の忘却……。大切なものを突然に奪われた人々が、都会の片隅で迷い込んだのは、偶然と驚きにみちた世界だった。孤独なピアノ調律師の心に兆した微かな光の行方を追う「偶然の旅人」。サーファーの息子を喪くした母の人生を描く「ハナレイ・ベイ」など、見慣れた世界の一瞬の盲点にかき消えたものたちの不可思議な運命を辿る5つの物語。

目次

  • 偶然の旅人
  • ハナレイ・ベイ
  • どこであれそれが見つかりそうな場所で
  • 日々移動する腎臓のかたちをした石
  • 品川猿

偶然の旅人

村上春樹の知人のフェイクを交えたノンフィクション。(著者曰く)

ピアノの調律師である主人公は、火曜に書店のカフェで10時から13時まで読書に耽り、その後昼食をとり、ジムで汗を流すのが日課だった。
とある火曜日、いつものカフェで懐かしく手に取ったチャールズ・ディッケンズ『荒涼館』を読み返していると、偶然、隣で同じく『荒涼館』を読んでいた女性に声をかけられる。
主人公はゲイであり、それが原因で過去に家族の中で最も親しい姉と仲違いをしていたが、『荒涼館』を読んでいた女性との出会いで変化が訪れる。

体と心の性の不一致という人物は、『海辺のカフカ』に登場する、体は女だが心は男で、しかも恋愛対象は男(つまりはゲイ)である大島さんのことを最初に思い出しましたが、本作品の主人公はそこまで複雑ではない様です。

性の対象が人とは異なることにより、失った友人と家族との関係が、カフェで女性に出会いと喪失を通じて取り戻してゆく、スッキリとした物語でした。

ハナレイ・ベイ

サチの息子は19歳でハナレイ湾(ハワイ諸島の最北端にある島)でサーフィン中に右足をサメに食いちぎられ、溺れて死んだ。
現地で息子の火葬を済ませ、1週間現地滞在する。以来、毎年命日の前後にハナレイに3週間程度の滞在をするようになった。

息子の喪失から始まるが、ストーリーの中では、そのことを悲観する表現が無いわけではありませんが、大半は新たにハナレイを訪れた2人の若者へのハナレイでの滞在方法などを、対話形式で指南・忠告しています。

重松清の『きみ去りしのち』は、息子を突然失った主人公である父親が、旅をして喪失と向き合う物語でしたが、本作品ではそういった息子を失った事への喪失感や悲壮感というものが全体を通してあまり感じられず、むしろそういったものは乗り越えた上で、知識というか経験をもとに、読者に語りかけて来るようでした。

下記、後半の女の子とうまくやる方法が好きです。

「女の子とうまくやる方法は三つしかない。ひとつ、相手の話を黙って聞いてやること。ふたつ、着ている洋服をほめること。三つ、できるだけおいしいものを食べさせてやること。簡単でしょ。それだけやって駄目なら、とりあえずあきらめた方がいい。」(92ページ)

実践したいところですが、私には近しく親しい女性がいません。というのは余談でした。

どこであれそれが見つかりそうな場所で

マンションの24階に住む義母の様子を見に行った夫(品川区在住、41歳、メリル・リンチ勤務)。夫妻の住む26階から24階へ階段で向かった(と、思われる)夫が忽然と失踪してしまう。

いかにも東京奇譚集とう表題にピッタリな短編。

義父の不慮の死から語られる物語で、その死因は酩酊下での都電による轢死。しかも義父の職業が僧侶であったという、僧侶らしくないというか、煩悩の打ち負けたかのような序盤ですが、亡くなった義父の事には多くは触れられていません。

まるで、あちら側への扉を探すような主人公(ボランティア探偵?)の姿は、前述でも触れました『海辺のカフカ』を彷彿させるものです。

物語のキーワードでは無いと思いますが、小学生に上がりたてくらいの少女と交わす、以下の会話が印象的でした。

「ねぇ、おじさん、ミスタードーナッツの中で何がいちばん好き?」
「オールド・ファッション」と私は即座に答えた。(131〜132ページ)

私の住んでいる川崎では、ミスタードーナッツよりもクリスピークリームドーナッツの店舗の方が多く、そもそも久しくドーナッツなんて食べていませんが、もしも次にミスタードーナッツへ行く機会があれば、オールド・ファッションを買ってみようと思います。

日々移動する腎臓のかたちをした石

5年間で4回、芥川賞にノミネートされたが受賞を撮り逃した小説家である主人公が、知人の小さなフレンチ・レストランのオープニング・パーティーに招待された際に出会った女性は、二人目の「本当の意味を持つ」女性になるのか・・・。

タイトルの「日々移動する腎臓のかたちをした石」とは、主人公の執筆途中の作品名なのですが、これが大衆文学に慣れてしまった私をミスリーディングを誘い、「やられた」と思い知らされました。(詳しい事は割愛します)

印象に残ったのは、序盤にある下記、主人公の父親の発言。

「男が一生に出会う中で、本当に意味を持つ女は三人しかいない。それよりも多くないし、少なくもない」と父親は言った。いや、断言したというべきだろう。父親は淡々とした口調で、しかしきっぱりそう言った。地球は一年かけて太陽のまわりを一周する、というみたいに。(141ページ)

あまり多くは語られないのですが、主人公にとってはすでに一人目とは出会っており(間違いないと断言している)、私にもそんな女性に一人出会っているので、そういった意味において、主人公に親近感を抱きました。

品川猿

自分の住所も、誕生日も、電話番号も、パスポートの番号だって答えられるのに、自分の名前が分からなくなる。

本書の中でいちばん気に入っている作品です。

村上春樹の作品では、『かえるくん、東京を救う』のように、動物がしゃべり始める事は珍しくありません。キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!!とまでは、いちいちならないものの、下記の猿の発言がコミカルで思わず読みながらニヤけてしまいました。

「はい、坂木課長。私はもう二十三区には戻ってまいりません。これ以上みなさんにご迷惑をおかけすることはありません。下水道を徘徊したりもしません。私ももう若くはありませんし、これは生き方を変える良い機会かもしれません」(238ページ)

猿が人間に対して、課長呼ばわりです。ここに至るまでは淡々と読み進めていたのですが、読み返してもニヤけてしまいます。

読了し、最初に思い浮かべたのは『夏目友人帳』のことでしたが、あまり深く書くとネタバレになってしまいますので、そのへんは割愛します。

総合的な感想

村上春樹の作品は純文学という潜在意識があるため、大好きではありますが、大衆文学の作品とは読む姿勢が自然と異なってきます(大衆文学も大好きですが)。

著者の作品は、私の青春小説ランキングにも記している様に、長編小説が好きなのですが、自然と異世界に引き込まれていく独特な感覚というものは短編集である、本作品でも変わりませんでした。

余談なのですが、本書はブックオフの100円コーナーで購入しました。短いながらも108円で存分に村上春樹ワールドを味わえましたので、大変満足しています。

© 2014-2020 アイスハート by 夜