アイスハート

一片氷心で四季を巡る書斎ブログ

かつて本の虫と呼ばれた私の経験した読書体験あれこれ

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紙の本を愛する

どんな場所で、読書をするのでしょう。

もともと小さなころから本(とりわけ小説)を読むのが好きでした。

高校生から大学生くらいまでが直近のピークで、通学電車、学校、塾、自宅、友人宅、旅行先と、とにかく場所を問わず、暇さえあれば(あるいは無くとも)本を広げて読み、読まずとも厚みを指で確かめたり、紙の匂いを嗅いだりしていました。

ブログで読んだ本を紹介していると、嬉しいことに私の拙い感想と書評からブログ経由で本を買ってくださる方もいらっしゃるのですが、今のところ紙の本とKindleの半々で、紙の本を愛する私もKindle端末が欲しくなってくるのですが、それでもやはり紙の本こそが本である、という風に思ってしまうのです。

『PSYCHO-PASS』の槙島聖護のように「紙の本を買いなよ。電子書籍は味気ない」と思わず言ってしまいたくなります。

「借りる」では気が済まない

漫画に関してもそうなのですが、本というものに関しては、例えば図書館で借りるだとかTSUTAYAでレンタルするという事をしません。

それは敬愛する作家に印税が入るように、とかそういった信仰心ではなく読んだ本は物として手もとに残したくなります。(ただし、読んであまりにつまらないと思った本に関しては、この限りではありません)

男特有の収集癖なのか、何なのか、理由はよく分かりませんが、とにかく本を「借りる」では気が済みません。

一人暮らしをはじめて一年足らずですが、そうして自宅に招き入れた本がどんどん増えています。

今の部屋を離れる時が来て、引っ越しで荷物を減らす必要に迫られても、本の処分はきっと行いません。

趣味としての読書の範囲、あるいはその定義とは

「読書が趣味です」とは、何冊の本を読めば胸を張って「キリッ」と言い張れるのでしょうか。

私は読んだ冊数は、あまり意味が無いと思います。

本が好きだからという、単純にな理由で私はとある大学の文学部に進学し、その大学時代に出会った友人の中には、読書を趣味に掲げる事は特に珍しいことではありませんでした。

そんな読書趣味の友人が多いと、読む本は三者三様というか、もはや十人十色の領域で、そんな友人たちのおかげで、「この作家、あいつが好きだって言ってたな」とふと思い出すなど、今でもなお私の読む本に多くの影響を受けています。

ところで、そんな中には、「今年は100冊本を読む」と、SNS等で高々と宣言をして、読んだ本の母数こそ全て、という友人もおりました。

事あるごとに、「この週末でN冊読む」、「今月はN冊読んだ」と直接あるいはSNSで報告があったり、具体的な数字を出すことは目標として分かりやすくて良いのですが、それほど読んだ冊数、あるいはこれからよむ冊数って重要なのでしょうか。

『グレート・ギャツビー』をN回読んだ、というのだから友人になってもいいな、と思えた。

ちょっと作品は忘れてしまいましたが、村上春樹の作品の中にこういう表現があったと思います。

1冊の本を愛読する事と、本をより多く読む事に優劣はつけられないと思います。

読書が趣味でもジャンルが異なると分かり合えないのか

前述の、彼が読んでいた本の中心は、ビジネス書というより成功論のような、すこし宗教臭い著者の本ばかりで、著者の会員クラブに入ってセミナーにまで出向き、握手したツーショット写真をSNSに上げるなど、雑多に小説を読む私から見ると、彼の姿は少し異様に感じました。

彼におすすめの本を訊ねると、決まってその、どうやら有名らしい著者の本を薦めてくるわけですが、ビズネス書のような類はほとんど読まないため、同じ読書が趣味のはずなのに、彼と本について語り合う事はほとんどありませんでした。

もちろん、私からおすすめした本も、彼にとってまた同じだったと思います。

もちろん、そういった本を愛読する人の事を否定する訳ではないのですが、就職活動の際、履歴書の添削を仲間内でやっていた時に、私もそうしたように彼もまた趣味の欄へ【読書】と書かれているのを見て、なんだかモヤモヤとした事を今でも思い出します。

社会人で趣味で小説を読むことは悪いことなのか

学生生活に別れを告げて、新社会人となった私は、とにかく仕事ができませんでした。

なぜあの頃、仕事が出来なかったのかは、後になって分かった事ですが、本記事とは関係が無いのでここでは割愛します。

大雑把な性格で細かいミスが多い私と、ミス一つ許さない上司との反りがとにかく合わず、ある日応接室に呼ばれた私は、その上司と腹を割って話す事になりました。

「本は読むのか」という上司からの問いかけに対して、小説をよく読む旨を答えたところ、「小説なんか本を読んだうちに入らない」と激昂され、内心「(いや、履歴書に書いてるの読んでへんのか)」と思いつつ、始終平謝りをした(させられた)事が忘れられません。

その日を境に、社会人で小説を読むのは悪いことなのだ、と少し真面目すぎた私は本を読むことをしばらくやめてしまいました。

その後結局、新入社員として配属された少人数の支社では、あまり同僚たちと分かり合えないまま、かねてより希望を出していた本社へ転属することになりました。

電車の中で本を読む人が少なくなった

自宅から本社まではドアツードアで2時間と、読書をするには最適な環境だったと思います。

今思えばかなりもったいない事をしてしまったな、と反省するばかりですが、新入社員当時の上司の言葉が忘れられず、転属してからも長らく本を読まずにいました。

この頃は、ちょうどガラケーが駆逐されはじめた頃で、電車の中では本を読んでいる人のほうが珍しかったと思います。(これも、今思うとけっこう異様な光景でしたが。)

私もご多分に漏れず、当時はXperia arcという今では考えられないくらい動作がカクカクのAndroidを使用していて、自宅の最寄り駅から職場までずっと意味もなくAmazonやまとめサイトに出たり入ったりしていました。

郷に入れば郷に従え、行列ができているからとりあえず並んでみよう、この頃の私は、電車の中で本を読むという発想すら無かったのかもしれません。

本社では、とある大きなプロジェクトに携わることになり、それなりに公私ともに充実した日々を送っていました。

しかし、プロジェクトが佳境を迎えると、平日は毎日のように朝早くからで夜は午前様という日も珍しくなく、いくら仕事が好きでもQOLは低下していく一方でした。

1本でも乗り逃すと即遅刻になってしまう環境だったので、次第に、会社が支給する交通費では高くて乗れない、有料特急に仕方なく乗る日も珍しくなくなりました。

読む本の好みが合う人は同年代とは限らない

そんなある日、いつもの有料特急に乗っていると、同じプロジェクト(私とは別チーム)のお偉いさんと偶然相席になりました。

通勤時間も実に1時間30分ほどかかるので、それまで業務上の話しくらいでしか会話を交わしたことの無いその人と、はじめて生活の事やこれまでの事など(何故か色々と聞かれたので)話すことになったのですが、そこでポツリと「最近読んだ小説みたいな人生だな」とつぶやかれ、『海辺のカフカ。』と返してみると、そこには少年みたいに目を輝かせる部長の姿が。

私も学生時代の友人以来はじめて、読んだ本の話しが通じる人に出会ったため、そこからはずっと小説トーク。

聞けばこの部長、奥さんが土日が休みとは限らない仕事をしているため、奥さんがいないときはもっぱら小説を読んでいるらしく、最近になってようやく村上春樹を読んだ、とのこと。

社会人になってから長らく本を読んでいませんでしたが、これまでにそれなり読んだ本があったため、村上春樹の作品の中でも一番好きな『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を渡してみたところ、翌週に話があるからと仕事中に呼び出され、以来定期的に飲みに連れて行って貰える間柄となりました。

やはり本を読むって素晴らしいな、と改めて思ったわけです。

本に対する諸々、本を通した意外なつながり、こういう経験って私だけでしょうか。

今週のお題「これって私だけ?」より。

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