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一片氷心で四季を巡る書斎ブログ

『女のいない男たち』村上春樹/それぞれの理由で女性と離れ行く男たちの短篇集

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私のように、青春時代の後半から村上春樹に接した身からすると、そもそも彼の作品は膨大にあり、短篇集というのも特段珍しくないのですが、先日読んだ『東京奇譚集』より、実に9年ぶりに刊行されたのが、本書『女のいない男たち』です。

本書を手に取り購入したのは去年の事なのですが、ちょうどその頃、青春時代の大半を共に過ごした女性といろいろな事情があって別れ、私自身も新しい土地で新しい会社に勤めはじめた、というセンチメンタルな事情から本書に惹かれたのは至極当然だったのかもしれません。

新しい仕事に慣れるまでは中々読書に時間を割けず、また慣れたら慣れたで繁忙期に差し掛かってしまい、かなりの間読めずにいました。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」から1年、
村上春樹、9年ぶりの短編小説集。
表題作は書下ろし作品。

ドライブ・マイ・カー

主人公は黄色のサーブ900コンバーティブルに12年も乗る男、家福。
ある程度名前の知れているが、主役を張れるほどではない俳優。

とある事情で車の運転が出来なくなった家福は、専属ドライバーを雇う事にし、ここで出会うドライバーが、3日しか生きれなかった娘が生きていれば同じ歳になる、ぶっきらぼうで可愛げのない少しぶさい女性、渡利みさき。

家福は、かつて生後3日で娘を亡くし、その後長年付き添った主役を張れるほどの女優であった妻を亡くしています。

平たい境遇で言うと、先日読んで大変感銘を受けた重松清の『きみ去りしのち』の主人公と似ているのですが、さすがは村上春樹の世界観というか、そういった一般的な感情とはまた違った切り口で物語られています。

イエスタデイ

主人公は生まれも育ちも兵庫県芦屋市なのに関西弁を喋らない学生の男、谷村と、生まれも育ちも東京都田大田区園調布なのにネイティブな関西弁で喋る浪人生の男、木樽。どちらも20歳前後。

『女のいない男たち』に当たるのは何も、妻と死別した夫だけに限らず、若い男にも珍しいことではありません。

木樽には小学校からの幼なじみで、上智大学でテニスサークルに所属する彼女がおり、一方で谷村は今は彼女がいません。

ある日谷村は木樽から、自分の彼女と付き合ってみないか、と持ちかけられます。

大阪にホームステイしてまでネイティブな関西弁を身につけた、木樽というキャラが濃いにも関わらず、それに振り回されない、なんとも不思議な物語でした。

昨日は/あしたのおとといで
おとといのあしたや(67ページ)

著者の「まえがき」にもあるのですが、残念ながら木樽が歌う関西弁の『イエスタデイ』は大人の事情で大幅に削らざるを得なくなったらしく、少なからず関西弁に似た言葉を使う身としては、この点が少し残念ではありました。(続きが気になる)

独立器官

主人公は若いうちから結婚願望が全くなかった、美容整形外科の52歳の開業医、渡会。

この渡会とい男は務めて、女性にとって、気軽な「ナンバー2の恋人」、便利な「雨天用ボーイフレンド」、手頃な「浮気相手」という立場を自ら守っています。

しかし、そんな男が真剣に恋をしてしまったら。いわゆる、恋煩いをしてしまったら。

男がたどる道はともかく、展開がとても意外なものでした。

シェエラザード

主人公は地方都市の「ハウス」で世間から切り離された生活を送る男、羽原。

シェエラザードとは、アラビアン・ナイトこと千夜一夜物語の語り手のことで、物語に出てくる「ハウス」で生活をする羽原へ「支援活動」をする女性の”あだ名”でもあります。

(浅田次郎とは無関係です。)

彼女はとても人を惹きつける話術で羽原に会うたび、小出しに「やつめうなぎ」だった前世の事、「空き巣狙いの時代」を語ります。

シェエラザードが話す物語が大半を占めるのですが、その名の通りとても魅力的な話しで読み手を魅了します。

村上春樹の作品で、次はどんな展開になるのだろうかとドキドキすることはあまりないのですが、本作品は本書の中でも特に夢中になって読むことになりました。

木野

主人公は、脱サラをしてバー「木野」を経営する男、木野。

僕がこれまでの人生で巡り会ってきて多くのひそやかな柳の木と、しなやかな猫たちと、美しい女声たちに感謝したい。そういう温もりと励ましがなければ、僕はまずこの本を書き上げられなかったはずだ。(11ページ〜12ページ)

本書冒頭の、著者の「まえがき」にあるように、本書の表紙の絵にあるバーが、「木野」なのかもしれません。

とある事情から木野はバツイチで、それに至る経緯に少々艶かしい表現が含まれます(物語の本筋ではありませんが)ので、読み手によっては不快に思うかもしれません。

女のいない男たち

主人公は女のいない男。

夜中の1時に、かつて付き合っていた14歳の頃に出会うべきであった「エレーベーター音楽」を愛する女性が死んだ事を、彼女の夫から聞かされる。

本書を発行するに当たって、書き下ろされた表題となっている作品。

ある日、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れる。(中略)その世界であなたは「女のいない男たち」と呼ばれることになる。どこまでも冷ややかな複数形で。(276ページ)

なんとも言えない世界観で、始終読み手に真相(あるいは深層)を問いかけてくるようで、まるで自分が本と一体化してしまったかのような感覚に陥ります。

総合的な感想

村上春樹の小説と言うと、「読みにくい」、「よく分からない」とよく聞くのですが、それはおそらく、彼の作品にはおおよそ「起承転結」がハッキリしていないというか、存在しないという特徴があるからだと思います。(書評を書く側も一苦労です。)

やはりというか、本書のどの作品にも「起承転結」と呼べるものが存在しないのですが、全体的に読みやすい作品に仕上がっていると思います。

著者は、万人に読みやすいようにとか、そういったことは考える様な人ではないと思われますので、おそらくそれは偶然と思いますが。たぶん。

ハードカバーの本は滅多に買わないのですが、こと村上春樹の作品となると、そのルールは私にとって例外となります。

本作品も、そんなふうに強烈に惹き付けられる本でした。

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