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『天使の囀り』貴志祐介/何かに支配される事の恐怖を描くホラー小説

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貴志祐介は私の最も好きな作家のうちの一人で、今年に入ってから『新世界より』に引き続き2作品目として手に取った作品が、本書『天使の囀り』です。

新世界より』は単行本にして3冊に渡る超長編のSF作品でしたが、本書はかつて読んだ『クリムゾンの迷宮』を思い出すホラー作品となっています。あちらは脱出系ホラーゲームのような感覚でしたが、『天使の囀り』はミステリ的な要素が強いホラー小説となっています。

文庫版もありますが、古書店で初版の単行本がありましたので、敢えて単行本を買いました。

北島早苗は、ホスピスで終末期医療に携わる精神科医。恋人で作家の高梨は、病的な死恐怖症だったが、新聞社主催のアマゾン調査隊に参加してからは、人格が異様な変容を見せ、あれほど怖れていた『死』に魅せられたように、自殺してしまう。さらに、調査隊の他のメンバーも、次々と異常な方法で自殺を遂げていることがわかる。アマゾンで、いったい何が起きたのか?高梨が死の直前に残した「天使の囀りが聞こえる」という言葉は、何を意味するのか?前人未到の恐怖が、あなたを襲う。

あらすじ

すべての始まりはアマゾン調査団

主人公はホスピス(終末医療センタ)で、医師として助かる見込みの無い患者にカウンセリングを行う女医・北島早苗。

恋人にして作家である高梨は、死恐怖症(タナトフォビア)という死そのものに対して恐怖感を覚える症状に悩まされていたが、その克服と作家のしての見聞を広げるため、スポンサーである新聞社「バーズ・アイ」が企画したアマゾン探検隊へ参加する。

高梨からは、セキュリティも怪しい、貧弱なインターネット回線を利用して早苗とやり取りされるメールで現地の様子を伝えられるが、とある災難な事件をキッカケに、高梨の死に対する考え方に変化が生じる。

そして、早苗が目にした帰国後に再会した高梨は、見た目もさることながら、死恐怖症を完全に克服していたのだった。

高梨は早苗の耳元に囁いた。一瞬、早苗の感じた戦慄は、耳に吐息を感じたせいなのか、彼の言葉のゆえなのか、よくわからなかった。
「死ぬことが、けっして恐ろしいことじゃないと、やっと気がついたんだ」(69ページ)

しかし、アマゾンの探検中に気が触れてしまったのか、帰国後の高梨は、喫煙・旺盛な食欲・血気に任せた性欲と、全てが以前とはまるで別人になっていた。

そして、しきりに「天使の囀り」を口にする。その実態は、完全に克服した死を逆に愛する、死愛好症(タナトフィリア)へと変わり果てていた。

帰国後次々に謎の自死を選ぶアマゾン探検隊

あまりの変貌ぶりに独自にアマゾン探検隊のその後を調査し始めた早苗。

しかし、その間、高梨の死愛好症は外へ向くことは無く自身を蝕み、早苗の部屋から盗みとった多量の強力な睡眠薬を用いて、高梨はついに自殺してしまう。

高梨の遺品整理に協力する早苗だったが、作家として確保していた倉庫で目にした物は、以前の高梨なら決して手にすることのないような死にまつわる様々な資料と死そのものを録画した映像の数々だった。

そして、アマゾン調査隊にカメラマンとして参加した女性もまた、2人目の犠牲者として奇怪な自死を遂げてしまう。残る2人は行方不明。

一方その頃、とあるインターネットのホームページでは、生きづらさを感じる人々向けのセミナーが開催され、そのセミナーの参加者も次々に自死を遂げてしまう。

調査を進めるにつれて、彼らに共通した死は、かつての自身が一番恐れていた物事への克服と、異常なまでの執着心にある事が判明する。そして、その原因も…。

読書後の感想

タイトルからは想像も付かないホラー小説

本作品のタイトルである『天使の囀り』。恋愛小説やロードノベルなどに名を冠しそうな雰囲気がありますが、タイトルからはおおよそ想像の付かないホラー小説でした。

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』が引用されていたり、自死を選んだ登場人物の語る「天使の囀り」を、様々な病気の症状から比較していたり論理的というか、説得力の有る小説であると感じました。もちろん、ホラーでありそもそも小説ですので、全てフィクションなのですが「こういう事って、実はあるのかもしれない」と思える得体のしれない恐怖感が本作品にはあります。

私は理系特有の論理的な思考であるとか、難しい計算式などはよく分からない典型的な文系の人間ですが、だからこそ人一倍「天使の囀り」の正体と、その理論に深く惹かれたのかもしれません。

人は生きているだけで幸せなのか

これまで、フィクションとしての死、或いは生の素晴らしさなど、様々な観点で様々なジャンルの小説を読んできましたが、ホラー小説でここまで生と死について深く語られた小説は今のところ読んだことがありません。

主人公が、ホスピスの女医という人を死なせないための医者が、生きたくとも長く生きられない人のための医療を行うという、本来の使命とは矛盾した職業に就いている事。また、その女医の周辺で次々と恐怖を克服しながらも「天使の囀り」に侵され、自死を選ぶ人々。ホラーという題材にも関わらず、簡単に「呪い」のような超常現象に依存する事無く、実在する病気の症状を軸に語られるこの物語を読んで感じたのは、「生きているだけで幸せ」と果たして言えるのか、という想いです。

もちろん、私は自ら死を選ぶようなことはこの先きっと無いでしょうけれど、少々複雑な感性が養われたような想いです。

何はともあれ、貴志祐介という作家がより好きになる1冊でした。超常現象がテーマではありませんので、『リング』や『らせん』といったサスペンス・ホラーが苦手な人で、ミステリが好きな方には抵抗なく読めると思います。

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