作品数も多いのに、なかなか古書店で安価で手に入れることのできなかった辻村深月の作品。
先日、実家に帰省した際にやっと1冊手にすることが出来ました。
ミステリ小説をよく読む私にとって、小説における人の死はほぼ必ずある物ですが、本作品は死者との再会をテーマにした作品です。
一生に一度だけ、死者との再会を叶えてくれるという「使者」。突然死したアイドルが心の支えだったOL、年老いた母に癌告知出来なかった頑固な息子、親友に抱いた嫉妬心に苛まれる女子高生、失踪した婚約者を待ち続ける会社員……ツナグの仲介のもと再会した生者と死者。それぞれの想いをかかえた一夜の邂逅は、何をもたらすのだろうか。心の隅々に染み入る感動の連作長編小説。
死者との再会
使者(ツナグ)を通じた死者との再会。
死んだはずの大切な人との再会というと、『黄泉がえり』や『今、会いに行きます』などを思い出します。
本作品の特徴は、死者との再会に使者(ツナグ)を仲介しなければならない、ということ。
物語は各再会毎に一章ずつ区切られた、短編の連作形式となっています。
- 突然死したアイドルとの再開を望むOL
- 死別した母との再開を望む息子
- 嫉妬心から思わず取った行動で友人が死んでしまった、その親友
- 7年間失踪状態の婚約者を待つ男
- そしてそれらを通したツナグ自身の使者としての引継ぎと成長
制約付きの死者との再開
死人と好き勝手に再開ができてしまうと世の秩序が乱れる事から、死者との再開には一定のルールが適用されます。
- 生者は一度しか死者と会えない
- 使者もまた、生者とは一度しか会えない。従って、死者から断られる事もある
- 再開は一晩だけ。満月の夜が望ましい。
その外にも、使者(ツナグ)側の活動はあくまでボランティアであり、報酬は受け取らないなど、細かい決まりもあります。
何故そうなのかというと、そういう決まりになっているから、だそうです。
死者と会いたいのは生者の傲慢か
もし自分が一度だけ死者に会えるのなら、誰と会いたいのだろう。
私は今年に入って父を亡くしているので、真っ先に思い浮かぶのはもちろん父です。
幸い母は健在ですが、私が普通に寿命を全うするのなら、それも看取らねばならないのが世の摂理でしょう。もちろん、例外となる事もあるかもしれません。
あまり考えたくない選択ですが、その時が来たとき、どちらに会いたいと思うのでしょう。突然海原で船が沈没し、溺れる妻子のどちらを助けるのか、そんな究極の選択に似ています。
選ばれなかった方の気持ちは?選んだ自分は何者なのか。
死者との再会というテーマは、一見素敵なようで、実はとても傲慢なテーマのようにも思えます。
【総合的な感想】生者は死者(使者)に救われたのか
短編の連作と言うこともあり、テンポ良く読むことが出来ました。
しかし一方で、前述の通りなかなか重いテーマだと感じます。
当たり前の事ですが、本作品はあくまで小説(フィクション)であり、死者と再会することなんて現実世界ではできません。
「あんなこといいな、できたらいいな」なんて言うのは、何処かの未来から来た青いタヌキのアニメソングですが、フィクションにはそれらを疑似体験できる醍醐味があります。
しかし一方で物語の結末としてではなく、一貫したテーマとして死者との再会が生者にとって本当に良いことなのか、という疑問が残りました。
もし、死者と再会できるのなら、あなたは誰かを選ぶことができますか?