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一片氷心で四季を巡る書斎ブログ

『アジアンタムブルー』大崎善生/優しく儚げな愛と命

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私は観葉植物が好きで、中でもシダ植物ながらもアジアンタムの葉の儚い美しさには一目置いています。

暇さえあれば近所の古書店に出入りしていて、ハードカバーの装丁の美しさに、思わず手にとってしまったのが本書『アジアンタムブルー』です。

葉子を癌で失ってからというもの、僕はいつもデパートの屋上で空を見上げていた―。万引きを犯し、衆人の前で手酷く痛めつけられた中学の時の心の傷、高校の先輩女性との官能的な体験、不倫による心中で夫を亡くした女性との不思議な縁、ファンの心を癒すSMの女王…。主人公・山崎が巡りあった心優しき人々と、南仏ニースでの葉子との最後の日々。青春文学の名作『パイロットフィッシュ』につづく、慟哭の恋愛小説。

『アジアンタム』という観葉植物と本作品について

私も多かれ少なかれ、それなりの恋をしては儚く散っていったのですが、恋人を亡くしたという経験は今のところありません。

本書のテーマは、恋人を亡くした主人公・山崎隆二がアジアンタムブルーな感情から、徐々に立ち直っていく様がつぶさに描かれています。

アジアンタムという植物は、観葉植物の育成レベルで言うと限りなく上級者向けの中級者向け植物で、ホームセンターの園芸コーナーに行くと簡単に手に入ります。

しかし入手難易度とは裏腹に、恵まれた高温多湿な環境、もしくは丁寧な管理が無い限り、葉が萎れてチリチリになってしまい、一度萎れてしまうと再生は非常に困難な植物です。

そういったアジアンタムという弱い植物の特性に、山崎隆二(或いはR.Y)の感情を重ねる様が、一人の人間の恋という感情の弱さと繊細な美しさを写実的に描写されています。

山崎隆二の職業と、葉子との出会いについて

主人公・山崎隆二の職業は、男性向け雑誌の編集者。

この男性向け雑誌を販売するための手法が、本作品の中で隆二の上司を通して語られるのですが、これがとても単純で、男を本能に充実にさせる、というもの。

テーマはともかく、その場限りの花を咲かせるための、シンプルな世界で仕事をしていると言えます。

しかし、男の本能を揺さぶるためだけに単純化された雑誌の出版にも、変化が必要と判断され、雑誌の女王様・ユーカを経て日本全国の水たまりの写真ばかりを撮影するカメラマン、葉子が紹介される。

やがて二人は恋に落ち、同棲生活を通じて互いの理解を深めていくのだが…。

【総合的な感想】静かに涙がこぼれる、みんなの優しさ

冒頭から葉子は既に故人と語られており、なかなか核となる部分に触れられず、最初はどんな小説なのだろうかと勘ぐりながら読んでいました。

また、煙草や仕事、音楽など、ハッキリとしないものの、主人公の姿が如実に現れる表現は、どこか村上春樹に作風が似ている小説とも言えます。

しかし、葉子との馴れ初めや病気が明かされ、やがて葉子が死に向かっていくあたりからは、前半で受けた作品の印象はガラリと変わります。

後半から最後にかけては、隆二と葉子が出会う数々の人たちの優しさに、静かな涙と嗚咽が止まりません。その涙は抽象的に言うと感動から来るものでしたが、まるで読んでいる私自身が本の中のひとたちから優しくされているような錯覚を受けるものでした。

前半のどこか気だるげな日常も、全ては後半に宛てるための伏線だったように思います。

現在の時間軸としての前半、過去の時間軸としての後半。山崎隆二は今、何を想うのだろう…。

村上春樹のような作品が好きだけれど、大衆小説も好き、という人にぜひともおすすめしたい作品です。

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