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『ガリヴァー旅行記』スウィフト/皮肉の天才が描く寓話の世界

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「『ガリヴァー旅行記』?ああ、人間が小人の世界に紛れ込む、あの絵本ね。」

なんて思っていませんか?

少なくとも私はそうでした。しかし、原作は全くと言っていいほど、それとは異なります。

世界的な名著として、原作である『ガリヴァー旅行記』を読み、衝撃を受けましたので概要と感想を。

諷刺の枠を突き破り,人間そのものに対する戦慄すべき呪咀へ-子供のころ誰しも一度はあの大人国・小人国の物語に胸を躍らせたに違いない.だが,おとなの目で原作を読むとき,そこにはおのずと別の世界が現出する.

リリパット国渡航期

多くの人が『ガリヴァー旅行記』で思い浮かべる、小人の世界。

小人に捉えられたガリヴァーの姿は絵本などで、あまりに有名ですが、その先の物語を知る人は、おそらくかなり少ないと思います。

ガリヴァーは、こっぴどい目に遭わされ、命からがら逃げ出したのだろう、というのがおおよその人の見解だと思います。

しかし、原作ではそんなのは一端に過ぎず、ガリヴァーはリリパット国で手厚い保護を受けることになります。

ガリヴァーもまた、リリパット国の王と国民に敬意を払い、巨人として勇敢に彼らの国を守ります。

例えば、王妃の宮殿が火事となった際、ガリヴァーは実に人間的な生理現象で、窮地を救います。

しかし、そんな主従関係は長くは続きません。

ガリヴァーのよかれと思い行動したことが、リリパット国にとっては下劣であり、脅威であると見なされ、賢明なる友人(もちろん小人)から危機を知らされたガリヴァーはリリパット国を脱出することになります。

ブロブディンナグ国渡航期

何とか、リリパット国から脱出し、故郷であるイギリスに帰ることができたガリヴァー。

静かに余生を過ごそうとしますが、そんなうたかたの日々も長くは続かず、航海氏に巧みに踊らされ、次の旅へと向かいます。

そして、なんやかんやあって、行き着いた島がブロブディンナグ国。

ここは、まさにリリパット国と全てが真逆です。

つまり、リリパット国でのガリヴァーは巨人であったにもかかわらず、ここ、ブロブディンナグ国では、ガリヴァーは小人扱いです。

望む景色、暮らす国民、生活用品、それら全てが巨大な世界。

リリパット国で国民がガリヴァーに怯えたように、ガリヴァーもまたブロブディンナグの国民たちに怯える事になります。

そこで、ガリヴァーは卓越した言語習得能力とその雄弁で、巨人の国の小人としての生活を確率するに至ります。

やがて、そんな噂を聞きつけた王妃に見出され、ついに王に手厚く寵愛されるに至ります。

しかし、いつの日かガリヴァーは珍品として愛玩される日々に嫌気が差し、自由の身になることを望むことになります。

幸か不幸か、ガリヴァーは巨大な怪鳥(この国では普通の鳥)に攫われ、海に落とされ、幸運にも自分と身の丈が同じ人々が船舶する船に拾われ、一命を取り留めることになります。

ラピュータ渡航記

再び平穏な故郷での生活を取り戻したガリヴァー。

やはりというか、懲りないというか、またもや航海士の巧みな話術と報酬に釣られ、3度目の渡航に加わります。

しかし、この渡航もやはり難航を極め、またもやガリヴァーは見知らぬ島に一人取り残されます。    その島で見たのは、空中に浮かぶ島、ラピュータ。

その国の人々は、下界からロープの様なもので物資を仕入れ、その姿を見ていたガリヴァーもまた、ラピュータの人々に見つかり、天空の島に招き入れられる事になります。

その国の人々の見た目は誰も彼もが右か左に傾いており、従者の独特な支援が無い限り耳が聞こえない、天文学と数学と音楽を愛する人々。

島は、地上の島とプラスとマイナス極の関係にあり、その特殊な磁力を操ることで、浮遊しています。

ジブリアニメ『天空の城ラピュタ』の元ネタと思われますが、原作はアニメとはかなり異なります。

現に、ガリヴァーはすぐにラピュータに興味を失い、地上の島、バルニバービへと移動します。

バルニバービ渡航記

ラピュータの下界に位置する島。

ここでは、数々の不思議な研究施設が紹介されます。

しかし、どれもこれも不毛な研究ばかりで、結論ありきでそこへ行き着く手段を何十年もの月日を費やし、没頭している有様。

特に印象的なのは、アニメ『PSYCHO-PASS』でも皮肉として引用される、バルニバービの医者。

それは、対立する政治家たちの互いの脳を2つに割り、それぞれをつなぎ合わせる事で、理想的な政治家が完成する、という物なのですが、これも医学など明るくなくとも無茶苦茶であることが分かると思います。

そして、奇抜な研究を見過ぎたガリヴァーは、あまり見たい物が他にないとの理由で、故郷であるイギリスへ帰りたいと思うようになります。

グラブダブドリップ渡航記

ヨーロッパへ帰るため、ラグナグへと渡航する際に立ち寄ったマルドナーダ。

1ヶ月ほど船の便が無く、暇つぶしに訪れるのがマルドナーダの近くにある、グラブダブドロップという小島。

この島の族長は、死者を一時的に現世に呼び戻せる(ただし、いくつかの制約付き)という不思議な妖術の使い手。

死者たちは、彼らが生きていた時代の事であれば何でも語ることができ、そして真実のみを話します。(死者の国では、嘘をつくことは何の誉でもないそうです。)

族長のはからいで、偉人とガリヴァー、あるいは偉人同士の対談にガリヴァーは大喜びするのですが、伝記で語られる様な事実はおおよそ無かったり、期待はずれもあったりと、それでもガリヴァーは歴史に名を残す英雄や賢者たちと対談を存分に味わう事になります。

しかし、時代の主君に尽くした名も無き忠誠者たちとの対談をすると、その者達がいかに成果を成し得ても不遇な立場に追い込まれ、やがて処刑されたり、国家のために何の実績も無い者が重役のポストに着くなど、退廃的な当時の政治が子孫にツケを残し、腐敗しきった世の中になってしまったことを、ガリヴァーは知り、思わず冷静さを失ってしまいます。

ラグナグ渡航記

多くの死者との対談を経て、ガリヴァーはマルドナーダへ一旦戻ることになります。

そして運良くラグナグ行きの船便を見つけ、ラグナグへと渡航します。

ラグナグは、とても低い確率で永遠に死なない者、ストラルドブラグ(不死人間)が生まれる土地。

ガリヴァーは興奮し、もしも自分が不死の者であったのならば、どのような人生を送るか、この地の人々に対し雄弁に語ります。

しかし、そんな彼の熱弁は、この土地の人々の一笑に付します。

なぜなら、ストラルドブラグは確かに死なないものの、不老ではないからです。

ストラルドブラグは、月日を重ねる毎に、確かに死なないが老いだけは着実に進行する、という決定的な弱点があります。

それが何を意味するのかは、言わずもがな。

人並み以上に老いを重ねるという事の不幸さは容易に想像が付くと思います。

日本渡航記

故郷へ帰るための中継点として、あのガリヴァーは日本にも訪れます。(余談ですが、世界的な寓話に、日本が登場することに私は一番驚きました。)

というのが、ラグナグと日本は貿易を通した親密な繋がりがあるためです。

しかし、残念ながらこれまで各国の言語をネイティブに近いほど習得したガリヴァーは、こと日本語に関しては全くダメで、必然と滞在極めて短いものとなっているからです。(ページにして、わずか5ページ)

そして呆気無く(ガリヴァーにとっては幸運に)、長崎経由で故郷へと帰る事になります。

フウイヌム国渡航記

再び故郷で満ち足りた生活を送るガリヴァー。

しかしまたもや、うまい話にまんまと乗せられ、またもや航海へ出ます。そしてまたもや、不幸にも(もはや伝統芸能の粋ですが)、見知らぬ島へ一人取り残されることになります。

ここで最初に出会ったのが、後にヤフーと知る、身の毛もよだつ様な醜悪な生き物。近づいてきたその生き物に、ガリヴァーは持っていたナイフの逆刃で一撃をお見舞いし、原住民を探すのですが、それらしい人は全く見当たりません。

人の代わりに近づいてきたのが、馬。

どうも私たちの知る馬とは似つかない、知性を感じさせるその馬から、馬をここまで飼いならす土地の人々は、最も賢明な人々に違いないと、ガリヴァーは期待を抑え切れません。

そしてこの頭の良い馬に導かれ、ガリヴァーは一軒の家屋へと訪れますが、家屋の中に主人らしき人と住人は見当たらず、馬がいるばかり。

・・・もうお分かりだと思いますが、家畜と人間が逆転する世界。ここは馬が統治する国だったのです。

やがて、フウイヌム(=馬)語を習得するガリヴァー。

そして、フウイヌムが家畜として飼いならす、あのおぞましい生き物こそがヤフー(=人間)である事を知ります。

ガリヴァーは人間を代表して、我々は決してヤフーのような下劣な存在ではない理性を持った生き物で、海の向こう側では人間が統治する国が沢山ある、ということを雄弁にフウイヌムへ語ります。

しかし、人間の見てくれではない理性から生じる醜さを、本能として自然を受け入れるフウイヌムから、寵愛を受けながらも真っ向から否定されます。

やがてガリヴァーは、仏教的に言うのなら、まるで悟りを開いたかのように、フウイヌムの思想に感銘を受け、フウイヌム国に永住する事を決意します。

しかし、いささか特殊とはいえ、ヤフーを寵愛する事は「自然の理に反する」というフウイヌムたちの出した「勧告」から、ショックで気絶しつつもガリヴァーは已む無くフウイヌム国を離れる事になります。

そして故郷に戻ったガリヴァーは、自然の理を生活の取り入れつつ、とても不器用ながらも人間として(あるいはヤフーとして)の生活を送り、ガリヴァー旅行記は終わります。

総合的な感想

私の中での『ガリヴァー旅行記』とは、まさにガリヴァーの渡航の始まりである、『リリパット国渡航記』とイコールでした。

しかし原作を読んでみると、そんな物は本書の全体のごく一部(しかも重大な部分が大幅にカットされた)に過ぎないことに気付き、大きな衝撃を受けました。

同時に、世界的に有名な寓話としての『ガリヴァー旅行記』の原作を知らない人が、いったい世の中にどれだけ居るのだろう、おそらくは本書を読み終えるまでの私のような人が大半だろうと思うと、「もったいない」の一言に尽きます。

私がそうであったように、海外文学というものに、苦手意識(あるいは食わず嫌い)を感じる、”大人”の読書家の人たちに、ご一読をおすすめします。

大人だから分かる、ジョナサン・スウィフトの社会と人間自身に対する皮肉に、思わず心動かされてしまう事はまず間違いありません。(谷崎潤一郎が『陰翳礼賛』の中で西洋人とある側面を皮肉っていた事が思い出されます。)

ひょんな事から読んだ本作品でしたが、世界的な名著は、やはり確固たるものでした。

私にとって「死ぬまでに読む事ができてよかった」、そんな作品の1つに数えられます。

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