東野圭吾と言えば、本を読まない人でも名前くらいは聞いたことがあると思います。
本屋さんに行けば、彼の作品が平積みにされているのを毎回目にしていることでしょう。
実は、私は東野圭吾の作品を読むのは、この『白夜行』が初めてです。
1973年、大阪の廃墟ビルで一人の質屋が殺された。容疑者は次々に浮かぶが、結局、事件は迷宮入りする。被害者の息子・桐原亮司と、「容疑者」の娘・西本雪穂―暗い眼をした少年と、並外れて美しい少女は、その後、全く別々の道を歩んで行く。二人の周囲に見え隠れする、幾つもの恐るべき犯罪。だが、何も「証拠」はない。そして十九年…。息詰まる精緻な構成と、叙事詩的スケール。心を失った人間の悲劇を描く、傑作ミステリー長篇。
迷宮入りする殺人事件
すべての始まり。あるいは終わりの始まり。
とある質屋の店主であり、主人公「桐原亮司」の父が建設途中のビルで殺害される。
最初に疑いの目を向けた容疑者にはアリバイがあり、やがて犯人と思われる人物は死んでしまう。
貧窮した母娘の母はガス事故で亡くなる
ちょうど同じ頃、父を亡くし、ギリギリの生活を余儀なくされていたもう一つの家庭。
質屋殺しの容疑者とされた、とある女。
貧窮した母子家庭、生活への無理が祟ったのか、もう一人の主人公「唐沢雪穂」の母が室内のガス事故により亡くなる。
陰(桐原亮司)と陽(唐沢雪穂)
父を亡くした桐原亮司は、お金のため、犯罪ギリギリと言えるグレーな商売に手を出し始めます。
そして、歳を重ねる毎にグレー(脱法)だった商売は段々ブラック(違法)そのものに。
退廃的な生活を送りつつも、それでも亮司は、多くの人々と接触し、影響を与え、着実に資産を築いていく。
一方、唯一の肉親であった母を亡くした唐沢雪穂は、親戚の叔母の元に引き取られ、母子家庭だった頃とは比較してはならないほど、裕福ではないものの幸福な生活を送ります。
そして、亮司と裏腹に、彼女は歳を重ねる毎に輝きを増していく。
・・・多くの人を傷つけて。
陽の光りの差し込まない生活
「俺の人生は、白夜の中を歩いているようなものやからな」(436ページ)
本書の表題『白夜行』の元となっている桐原亮司の発言。
白夜とは、薄明の真夜中、あるいは太陽が沈まない現象の事で、日本では起き得ない現象です。
昼間を知らない薄明るさの中を、彷徨っているような人生を自虐しているようですが、本書を読了すると、沈まぬ太陽、という意味合いにおいても『白夜』という言葉が働いている事が分かります。
桐原亮司にとっての太陽とは・・・。
初めて読む東野圭吾の作品として
東野圭吾の作品は、前から読もう、読もうとしていたのですが、彼の作品はあまりに多く、いったいどの作品から手を付ければよいのか分かりませんでした。
約850ページに及ぶ長編が1冊の文庫本になっているので、読むときに支える腕が疲れてしまうのは余談ですが、中々読み応えがありました。
亮司と雪穂、二人の人生がどのように交わり、影響していくのか、そのような展開を期待しながら読み進めていたのですが、少し後味の悪い終わり方でした。(そういう作品なんだと思います。)
何となく、今年に入ってから読んだ誉田哲也の『ヒトリシズカ』や、ピエール・ルメートルの『その女アレックス』といった、ダークサイド・ヒロインな物語を読みながら思い出しました。
ただ、両作品と決定的に違うのは、亮司の存在です。また、雪穂もまた、亮司無しでは語れない存在だと思います。
初めての東野圭吾でしたが、つい気に入ってしまい、『幻夜』も買ってしまいました。しばらくは積ん読で寝かせて、気が向いた時にこちらも読んでみたいと思います。