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『原発ホワイトアウト』若杉冽/電力事業にまつわる内情を語る小説形式の告発本

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2011年3月11日。日本に未曾有の危機をもたらした、東日本大震災。

その地震の揺れは、当時私が住んでいた三重県にまで及びました。ゆっくり動く赤べこの様にふらふらと、まるで突然高熱を発した時のような感覚に陥り、天井を見上げるとそれぞれのデスクの内線番号が記されたプレートが大きく揺れていました。

何事だろう、とオフィスに備え付けられたテレビをつけてみると、まるで映画の世界のように津波に飲み込まれる仙台空港の滑走路が目に飛び込みました。

一体何が起きたのだろう。様々な震災を乗り越えた日本ですが「また震災が起きたのか」「でも、また数年後には復興しているだろう」、なんて甘い考えをブラウン管に映し出される映像を見ながらも考えていたことを今でも思い出します。

しかし、悲しくも多くの人が犠牲になるのはこれまでの震災と同様でしたが、一つだけこれまでと異なる点がありました。それが、福島原発事故でした。

総括原価方式が生み続ける超過利潤で、多くの政治家を抱き込み、財界を手懐け、マスコミを操作し、意にそわない知事を陥れるほどの強権を持つ関東電力。フクシマの事故後、政官電は、その安全性に欠陥があることを無視して原発を再稼働させた―。現役官僚が日本中枢を蝕む癒着を描破して問う、リアル告発小説!

既得権益に群がる大人たち

告発本と呼ばれる本作品ですが、読了した後、この物語(あるいは、実話)がどこまで本当なのか分からなくなりました。信じたくない気持ちもありますが、真実であってもおかしくない、そんな内容です。

既得権益を必死に守ろうとする人、一方でそれによって犠牲になっている人が数多くいること。世界は美しいようで、それを貪り食う存在は確かにいるでしょう。

電力や通信や交通など、公共性の高い事業は民間企業と言えども、一般的な会社の様に、生きるか死ぬかの会社の存続をかけた戦いというものとは無縁でしょう。それらに所属する末端のいち会社員には否定されそうですが、生活に無くてはならない企業は国に守られすぎたが故に、保身・保守的になっているところは必ずあると思います。

この『原発ホワイトアウト』は、そんな頭の良い既得権益に群がるインテリたちが政治と国民を支配し、結果として人類にとって取り返しのつかない片道切符を手にする様がリアルに描かれています。

人の手に負えないモノに手を出してはいけない

読了後の翌日、もともと理系の出身でもなければ、特別頭が良い訳でもない私は、YouTubeで原発に関する動画を見ることにしました。

福島原発事故をテレビで見た当時も、チェルノブイリなど世界的に最悪な原発事故に関連する動画を幾つか見ていました。にもかかわらず、わずか数年で記憶が薄れる自分自身を恨めしく思います。

そして当時と同じく改めて感じたのは「例え画期的な発見であっても、例え1%でも間違えたら人間の手に負えない様なものに、人間が手を出してはいけないのではないか。」という考えでした。

もちろん、発電所が社会や地域へもたらす経済的効果も大きいでしょう。しかし、経済的効果が大きなものが必ずしも正義であるとは限りません。比較対象として正しくないかもしれませんが、極論を言うのであれば、戦争もそうですね。こ戦争がビジネスになった世界観を描いた伊藤計劃の『虐殺器官』が思い出されます。

反原発を謳うつもりもありませんが、必ずしも賛成もできない思いです。こんな中立、ズルいですけどね。

【総合的な感想】未来へ受け継がれる負の遺産(レガシー)

「自分の生きているうちは大丈夫だろう。」そんな甘い考えが、後世に大きな負担を強いている事は、現在の崩壊寸前の年金システムを見ても分かる事でしょう。そのご時世や、その時の政治、団塊の世代の様な大きな集団が、自分たちだけが良い様に物事を決定していく。

それらを否定するつもりはありませんし、否定したところで今が変わる訳ではありません。それに逆の立場であれば、今の私たちのような世代の立場を理解することはできなかったでしょうし、間違った決断を易々と下していた事と思います。

さて、原子力発電所という人間が支配できないモンスターシステムを題材にした本作品。日本のトップエリートである現役の官僚が書いた本として、賛否両論があるようです。

私個人としては、なかなかメッセージ性があって良いと思います。しかし同時に、既得権益を守ろうとする階層がもたらす負の遺産(レガシー)や、それらは国民が立ち上がったところで、もはやどうしようもない領域にある絶望や無力感というものを見せつけられた様な気持ちです。

デモに参加している多くの若い人々は、「官邸前デモが政治を変える、社会を変える」と能天気に信じているようだ。
 SNSの申し子とも言える彼ら彼女らは、ネットでつながる仲間からの『いいね!』という即効的な反応を求める。じっくりと物事を考えて論壇に見解を表明し、ジワジワと社会の価値観が変わっていくことを待つという旧世代の忍耐力はない。
 突き動かしているのは、自分の生き様をネット上に残したい、というモチベーションだ。ネット上に記録されていないことは事実ではない、歴史にならない、とさえ信じているように思われる。(35ページ〜36ページ)

話は変わりますが、ここ最近話題の某学生運動の事も上記の引用が上手く言い当てている様に思います。彼ら(彼女ら)の活動についてはあまり詳しくありませんので、ここでの深い言及は避けたいと思います。

読めば読むほど、これが真実の告発本であれば絶望しかありませんが、嘘か本当か信じるのは読み手次第です。

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