どちらかというと大衆文芸を好んで読むのですが、古書店をぶらついていた時にふと目に飛び込み買ったのが本書『乳と卵』。
男性作家の作品の方が好きな傾向にありますが、今年に入ってからは女流作家の作品も少なからず手に取るようになりました。
川上未映子といえば、何年か前に芥川賞を受賞した姿をテレビで拝見した際、(失礼ながら)綺麗な作家さんだなぁと思った事が思い出されます。
たまには純文学も意識して読んでみよう、と手に取った次第です。
姉とその娘が大阪からやってきた。
三十九歳の姉は豊胸手術を目論んでいる。
姪は言葉を発しない。
そして三人の不思議な夏の三日間が過ぎてゆく。
『乳と卵』
第138回(平成19年度下半期) 芥川賞受賞
本書の表題作にして、川上未映子の代表作のひとつ。
登場人物としての女性と、女性の象徴
豊胸手術を真剣に検討する事と、初潮を迎えた事への真剣な悩み。本作品を読了して最初に頭に浮かんだのが「女性」という単語でした。
本書のあらすじというか構成は雑駁に言うと、都内に住む主人公の元に、大阪から豊胸手術を受けるか真剣に悩むシングルマザーの姉が、喋らなくなった娘(主人公の姪)と訪れ、夏の3日間を過ごす、というものです。
大衆文学を読む時の様に、活字から教えられる事は見出しづらく、読む人によっては「なんじゃこりゃ」の一言で終わってしまいそうな作品です。
しかし、私が気付いたのは、本作品には徹底的に女性しか登場していない、という点でした。
男性目線だからこそ読みたい女流文学
そして、それらの全てを否定するのが、姪・緑子という存在です。一見、姪の思春期特有のアゲインスト(反抗期)と、ルックスの補正/整形に取り憑かれた姉に振り回されるだけの物語のようです。
生物学的にも精神的にも、一般的な男性に属する私ですが、本作品は徹底して男性が生涯決して分かり得ない女性の精神的/肉体的断面を追求している、と読み受けました。
具体的には以下の通りです。
- 見てくれとしての人工的加工である豊胸手術
- 初潮並びに以降続く月経
- 新たな命を生み出す女性という神秘
- よく話しよく喋る女性のコミュニケーション
同じ人間のはずが男性目線では決して分からない、女性としての側面をしつこいくらい愚直に押し出された物語。
どう読むかは読み手次第ですが、芥川賞を受賞した作品である事を考えると、大衆文芸としては表現できなかった女性というひとつの像が、活字の物語から浮かび上がります。
『あなたたちの恋愛は瀕死』
本書に収録されているもうひとつの作品。
『乳と卵』をひっくり返す対岸の女性像
自身のルックスに自信を持って男性を誘惑するも、最終的には暴力的に打ちのめされる女性の一夜の物語。
ネットスラングで言うところの、所謂「スイーツ(笑)」な話しです。
表題作である『乳と卵』に於いては、女性特有の苦悩を関西弁に紛らわせながらも徹底的に語られており、ある種の感銘を受けておりました。
しかし一方で、本作品は軽率な女性をテーマにしているように読み受けました。
どちらの作品が正解なのか
同じ本の中に存在する、まるで真逆に位置するような物語。
どちらも主人公が女性なのですが、どちらもある種の女性らしさ、というものを表現している様です。(表現方法は別として。)
そういう意味では、どちらも正解であり、結局人間というものは一概に語れない、という一般論に落ち着くのかと。
同じ本の中で、同じ作家の、異なる作品をそれぞれ比較できるからこそ読めた作品でしたが、この作品を単発で読むと、やはり「何じゃこりゃ」となってしまいそうです。
【総合的な感想】どこか異色な純文学
まるで詩を謳うかのように、リズムを刻みながら綴られる作品でした。
今のところ、私が読んだ他の作家が描く作品との比較は難しく、私の読書人性の中ではある意味異色の存在です。
女性目線で本書を読むと、また全く異なる意見となりそうです。私にはそれが一生叶わぬのはある意味残念ですが、村上春樹の作品がそうであるように、また数年後に読むと、もしかしたら全く異なる感想が生まれそうです。